牛尾キャプテン日記
合宿初日
~ 合宿初日 ~
今日から合宿である。
…とても疲れた。体力的にも精神的にも非常に疲れた。
監督がこの合宿を「ゆかいな合宿」などと名付けていた時点で嫌な予感はしていたが、その予感は余すところなく的中した。
朝の集合の時点で一年の猿野くんがいなかったのはアクシデントの内に入らないとして、問題はバス移動の後からだった。バスの中でお経を唱えながら数珠を爪繰る蛇神くんに神経を逆撫でされつつ、合宿のメニュー内容をあれこれ想像して漠然とした不安にかられていた訳だが、想像をはるかに超える無茶苦茶なメニューが待ち構えていた。
バスの停車した場所が、山道の途中で人家もない、あまりにも中途半端な場所で、嫌な予感は最高潮に達した。常識的な予想をすれば、ここから宿まで歩くように言われるんだろうと考えるところだが、相手は羊谷監督だ。多分常識を軽々と超えた指示が出るに違いないと警戒していたら、車道をどんどん離れて山の中へと連れて行かれた。部員もみな不安そうな表情になっていき、どこまで行くのかと口々に質問するが、監督は「うっせーな、黙ってついてこい」としか言わない。部員の不安は煽られるばかりだ。この監督は、もしかすると我々を焦らせたり怖がらせたりするのを楽しんでるんじゃないかと時々思う。この合宿がもし「(監督にとって)ゆかいな合宿」であったなら、我々は合宿中ずっとこんな目に遭わされるということだ。不愉快極まりない。
監督が「着いたぞ」と言ったのは、山の中を20分近く歩いた後だった。もしやと思ったら、やはりクロスカントリーだった。しかもワーストへのペナルティで、3分の1の人間が野宿だと言う。クロスカントリーは特訓メニューとしては奇抜だが、精神面の強化という点で頷ける部分もある。しかしペナルティが野宿というのはどうかと思った。…予算の関係ではないと思いたいが。
監督から地図とコンパスを手渡され、更に学年ごとのくじ引きでペアを作らされた。なぜかこういうくじ引きでのペアでは、僕はいつも蛇神くんと組むことになる。何かの呪いかと思うほどだ。…呪いと言ったら蛇神くんに失礼かもしれないが。とにかく、野宿にならない為には2人で協力しあわねばなるまい。その点、それなりに気心の知れた相手と組めたのは幸運だったと言えよう。一瞬、全員で示し合わせて同時にゴールしたらどうするのか見てみたい気もしたが、さすがに怒られるだろうと思ったのでやめておいた。
実際に山中を歩き回ってみると、思った以上に疲れた。泥棒のような荷物の持ち方をしている蛇神くんはもっと疲れるのではないかと心配したが、涼しい顔をして歩いている。幼いころから山中での修業に勤しんでいた為、この程度の山道(というよりもはや道ではないのだが)は苦にならないということだ。そんな彼がなぜ野球を始めようと思ったのか、そのあたりの経緯を一度聞いてみたいと思いつつ、なぜか聞けないまま2年を過ごしてしまった。卒業までには聞けると良いのだが。
蛇神くんと行動を共にしていると、「通ってはいけない場所」によくぶちあたる。普段からよくあることだが、今回はそれで非常に苦労した。まっすぐ歩けば最短の道でも、「そこは霊の溜り場也。近寄らぬ方が身のためである」などと言われて迂回する羽目になったことが多々あった。酷い時など、急に立ち止まってお経を唱え始めたと思ったら、突然「喝!!」などと叫んで肝を潰したりもした。なんでも、大昔に行き倒れて成仏し損ねた老人の霊がずっとついてきて危険だったという話だが、時間のロスも甚だしく、後半は殆ど走らざるを得なかった。しかし、この分では後で全員集めてお清めをしてもらわねばならないだろうと思っていたら、蛇神くんは本当に全員集めてお清めしていた。流石としか言い様がない。
そんなことで余計な時間をかけたものの、無事旅館にたどり着き、合格することができた。ほっとしたのも束の間、すっかりあたりが暗くなったにも関わらず、ラスト1組、1年の犬飼くんと猿野くんのペアがまだ到着していないとの連絡がきた。まだ山の中にいるらしいという。はっきり言って遭難だ。猿野くんは山の中でも生きていけそうな気がなんとなくするが、だからと言って放っておく訳にはいかない。すぐさま他の部員にも知らせ、監督のところに集合したのはいいのだが、我々ができそうなことは山狩りの手伝いくらいだ。地理の判らぬ土地で勝手に動く訳にもいかず、監督の指示を苛々しながら待っていたところ、消防団に知らせる前に猿野くん達が到着した。どうやら犬飼くんが足を怪我したらしく、猿野くんが犬飼くんを背負いつつ、しかも荷物も全部一緒に持って山を降りてきたらしい。猿野くんにもなかなか良いところがあると見直した。
怪我人が出てしまったものの、一応全員無事に揃い、安心したところで1年の兎丸くんからゲームをやろうと誘われた。TVゲームもやったことがないが、携帯ゲームも初めてだったのでとても新鮮だった。時々はああいう遊びも良いかもしれない。
それにしても、野宿組が少々心配だ。はしゃいで木登りなどして怪我人が増えなければ良いのだが。
明日もまた風変わりできつい特訓が待っているだろう。出来るだけ身体を休めて、明日に備えたいものだ。
森は人が足を踏み入れずともそこにある
緑萌える景観も
澄んだ大気も
人の心を慰めるためにあるのではない
森の中の生きものたちが各々生きている
それだけのことだ
そこに生きている生命を美しいと感じるならば
生命に感謝を捧げよう
美しき生命の営みに感謝を